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波佐見焼は懐かしくて新しい!あなたもきっと持っている!その2

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この記事は
波佐見焼は懐かしくて新しい!あなたもきっと持っている!その1
こちらの続きになります。

カンブリア宮殿

さて、「ふるカフェ系 ハルさんの休日」で波佐見焼が気になっていたところに追い打ちをかけたのは何かと言うと・・・

▶カンブリア宮殿 2023年5月11日放送
「地域再生と生き残りを懸けた 長崎発!陶器商社の全貌」
https://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/backnumber/2023/0511/

予告を見た時「あれ?もしかして?」と思ってたら、案の定でした。

あ、「ふるカフェ」に出てたオーナーの児玉会長だ!(←知り合いか。)

「ふるカフェ系 ハルさんの休日」から数週間。
会長の露出すげぇ・・・。

児玉会長は「波佐見焼」をブランド化した立役者です。
製陶所のあった西の原エリアを買い取り、若い人が集まる観光スポットも作りました。

「ふるカフェ」ではカフェを中心に紹介されてましたが、
「カンブリア宮殿」では波佐見町の歴史や会長の手腕などを掘り下げ、違う側面から勉強になる内容でした。

以下は、番組内で特に気になったポイントです。

ポテンシャル

まず、「波佐見焼」をブランド化するにあたって、どんな器を目指すべきかを考えた際、波佐見町の焼き物はどういう歴史があったのかを調べたそうです。

有田焼の歴史が古いことは知られてますが、
波佐見焼は
「江戸時代には、庶民の食器として『全国で』使われてた」
のだそうです。

いや、どんだけロングセラーよ。
記録だけでなくちゃんと全国から出土してるそうですよ。
丈夫で使い易くて手頃であることの確固たる証拠ですよね。

そこから「庶民が普段使い出来る器」というキーワードにつながるのですが、
波佐見焼の元々のポテンシャル、その長く愛されてきたポイントを最大限に活かしたのは大きかったのでは、と考えます。
ただやみくもに「新しいブランドなんだから今までと違うものを作ろう!」とはならなかったんですね。

柔軟さ

特に印象的に感じたのは、児玉会長の柔軟さでした。

「有田焼」を名乗れなくなったら「じゃあ、波佐見焼をブランドにしよう」という度胸もすごいけど、
いざ立ち上げてみて百貨店から見向きもされない時に「あ、百貨店じゃなくてロフトかも?」と販路を新しく見出す眼力もすごい。

当時は「伝統工芸品で良いものを買う」となったら「やっぱデパート行くでしょ」ってのが一般的だったと思います。
その頃は百貨店やデパートがどんどん閉店するなんて想像しなかった時代。
もし「伝統工芸品なんだから」と百貨店にこだわってたら、今みたいな波佐見焼ブームは来なかった、かもしれません。

この会長の切り替えの早さ、判断力は、昔からの手法を守ってきた職人さんの町では驚かれたことでしょう。

信じる強さ

もうひとつ感じたのは、
波佐見焼の魅力を信じている波佐見町の皆さんのチームワーク。

多分、児玉会長は昔から「波佐見町のゴッド」なんでしょう。
だからといって「波佐見焼をブランドにするぞ」と言われても、全員でひとつの方向を向くには時間がかかったと思います。

今まで下請けをやって来たのに、デザインや売り方を自分たちで考えていかないといけない。
会長や窯元さん達の努力は想像を超えるものだろうし、他の道を選んだ人も居たのでしょう。

それでも、窯元さん達は自分達が作ってきた波佐見焼を信じている。その強さ。

インタビューで、
「(昔は)言われたものを作ってきたが、今は『こういうものを作ったら喜ばれるだろうか』と(考えるように)変わって来ている。」
と窯元さん達が語る言葉には、自分達で波佐見焼ブランドを作り上げたという自負が感じられました。
もちろん言葉には出来ない複雑な思いや、番組では触れていない出来事もたくさんあったんだと思います。
でも、窯元さんの言葉は、一人ひとりが苦労したからこそ力強く、自信に満ちている。私にはそう聞こえました。

補足しますが、下請けも産業を支える無くてはならない存在です。
というか、「下請け」ではなく、名実共に「パートナー」という関係性だったら今の地場産業も違ったのかなぁ・・・なんて考えます。

波佐見町は、
自分達で考え、自分達で選び、自分達の手で波佐見焼を残しつつ新たにブランド化することに成功した。
全国の「下請け業」に希望を与えたのではないでしょうか。

それも、児玉会長が、窯元さん、現社長の息子さんやデザイナーさん達若い世代を信じ
また、窯元さんや社長さん達も、波佐見焼の可能性を信じた結果だろうと思います。

符合

MCの村上龍と小池栄子の両氏から、自分も感じた疑問点に関して質問がされていました。

村上「(北欧デザインを取り入れることで)日本的な『らしさ』が薄れている気がするが?」
児玉「波佐見焼は生活環境等の変化に対応して来た。生活を反映するようなつくり方が特徴。」

小池「自分のこだわりは変えたくないというような職人はいなかったか?」
児玉「(職人による)作品というよりも、生活に使われる一般食器、マーケットに合ったものを作って来た。」

つまり、下請けだからこその対応力・順応力と、波佐見焼が大衆向けゆえの展開のし易さが逆に強みだったんでしょうね。

世の中の価値観が変わり、必ずしも「良いもの=高いもの」ではなく、日頃から使うものにこだわったり少し贅沢をしたりすることが、昔より増えたように思います。
特別なものである伝統工芸品が、手に入り易く、生活の一部になるというプチ贅沢。
玄関やガラス棚にどーんと置かれた存在感ある美術品も良いですが、暮らしに自然に寄り添う工芸品というものが求められているのかもしれません。

工芸品=飾るだけじゃなく使うものへ。
そういったタイミングや背景、特色など、いろいろな符合がかみ合わさって波佐見焼を成功に導いたのでは、と感じました。

例え今の人気がブームだとしても、波佐見町の皆さんはまた柔軟なアイディアやチームワークで乗り切ってくれそうです。
また、移住者の誘致もしているので、後継者問題や人口減少などの点も先が明るいですね。
レアケースかもしれませんが、今後こういう地場産業が増えていってほしいと思います。

さて、次は「いよいよ波佐見焼デビュー?」です。

その3」へ続きます。


参考


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